このような疑問を抱いたことはないだろうか。
【「東名阪」って、名古屋から津に向かう「東(ひがし)名阪道」を意味するのか、東京・名古屋・大阪という一連の大都市群「東(とう)名阪」を意味するのか、どっちなんだい!】
その他にも、「東京一工」の「東京」は、東大と京大の大学名の略称だし、「上京」と言った場合、「東京」「京都」のどちらの都市を指しているのか、わからなかったりする。また、「東大阪大学」なんて、略称は「東大阪大」だ。もう「東大」なのか「阪大」なのか、みたいなカオス状態になっている。
ちなみに、「東京」という名前は、「東の’’京都’’」という意味である。つまり、「方角」と「地名」が組み合わさっているため、略称にしたときに違う意味で捉えられやすい。そこで私は考えた。
東京、改名しようや!W
え?急に突飛なこと言うやん。でも、正直「江戸」で良かったと思いませんか?
というわけで、なぜ、「東京は江戸から改名した」のか、見ていきましょう。
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【東京奠都:とうきょうてんと】
1867年(慶応3年)、王政復古の大号令が宣言され、新たな政府は天皇を頂点として運営されることとなった。そして、明治新政府は、新たに天皇親政を行うにあたって都を移そうという機運が高まり、その案に浮上したのはまず「大坂」であった。
しかし、いくら京都から近いといえど、公家からは都を捨てるということになるという反対にあう。そこで、新たに浮上したのが「江戸」案であった。
当時の江戸は、人口100万を数える大都市であり、さらに幕府が去ることによる衰退が懸念されていた。その点、大坂はその不安がない。さらに、大坂は土地が狭くて開発の余地が少なく、大型船に向く港湾がないこと、開発が急がれる蝦夷地から遠いなどの理由もあった。よって、都を「東西両京」とする案がまとまり、江戸は1868年’’東の京都’’を意味する「東京」と改名されたのである。
そして、同年10月、天皇の東京行幸が行われると、1871年(明治4年)までには、京都御所をあとに残して首都機能の移転が完了した。
かくして、東京は改名され、東洋一の大都市として発展を遂げ、今日に至る__というわけである。
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【まとめ】
すなわち、天皇の行幸が行われるために、江戸は「京(みやこ)」と名乗る必要があった。だから改名したのである、ということができる。
ちなみに、日本の首都は法令で定義されていない。だから「東京が首都」というのは事実上の話…というのは次でしようと思う。